小倉屋の起こりとは

小倉屋総本家始祖  松下久右衛門(のちに改名し松原久七)がはじめました松原久七は淡路島慶野松帆から上阪、油屋”をぐら屋”に奉公した。

後、独立するにあたり当時の習慣として今まで修行した同業を営むことが出来ず   、

その名称(をぐら屋)の使用のみを許され嘉永元年(1848年)に昆布業を始める。

             

商売は順調に軌道にのり人手を自分の出身地淡路島から呼び寄せた。その後自分の過去を省みて

独立させのれんわけしたものには同業を営む(小倉屋)ことを昆布の煮き方等を教え積極的に支援した

 

不思議なのは歴史上の書物に松原久七の名前は登場するのに何故か小倉屋(をぐら屋)の

名前は登場しない誰か真相を知っている人は教えてください

 

現在の小倉屋

総本家が絶え、小倉屋分家一同でをぐら昆布系友会を結成しています。

店長は始祖 松原久七の意思をもって広く受け入れ次の世代に昆布の販売を残さなければと思っています

昆布は各店独自に工夫をこらし。

小倉屋 各店独自の昆布を販売しています。

 

小倉屋昆布・小倉屋松柏 

大阪の桜橋で兄弟で小倉屋昆布店をしていましたが、立ち退きで兄は堂島に、弟は茨木に移転。茨木にきて、35年が経過しました。この弟がおにいちゃんの親父です。

私で曽祖父の代から4代目になります

 

淡路島では長男が田・畑を継ぎ

長男以外が近畿地方で丁稚奉公し

その後継者が店舗経営していることが多々あります

 

淡路島母の出身であり小学生のころは夏は預けられてました

 

私自身社会人として広田とゆうところに

3年住んでましたがとってもいいところです